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  2005年 12月 17日 (土)

感謝


今でも信じることができません。
前オリックス監督である仰木さんの死去というニュースです。
昨日の夜にヤフーのトップで見たときは意味が全く理解できませんでした。
死因はどこの記事にも載ってなかったので誤報だとしか思えませんでした。
今朝の朝刊の一面を見ても信じられませんでした。

しかし学校から帰宅し、夕方のニュースを見てみると
どの局を見ても追悼の話しかしません。
誰も誤報だとは伝えません。
田口さんが吉井が谷さんが皆悲しい顔をして会見していました。
イチローはショックで声を失ったとさえ報道されました。
ようやく状況が理解できた自分は仰木さんの笑顔が映るたびに
涙がこみ上げてきて、悲しみで胸が締め付けられる思いでした。

自分はブルーウェーブが優勝した時は野球に興味がなくて
98年か99年ごろに本格的に興味を持ちました。
ブルーウェーブという球団が好きだったし、イチローや田口も好きだったし
何より仰木監督が大好きでした。
仰木監督が前回監督を退任した時、
学校から帰ってすぐにグリーンスタジアムに行ってセレモニーを見たのを
今でも鮮明に覚えています。
ただ球団が合併し、応援するチームがなくなってしまった神戸のファンが
「仰木さんが監督なら」と球場に足を運びました。
僕も広島との交流戦の1試合のみ観戦に行き、三塁側からだったので
ベンチにいる仰木さんの姿も見えました。
「来季も仰木さんがいるなら」と思っていました。
あれから半年。まさか帰らぬ人になるとは思ってもいませんでした。

「グラウンドで倒れるなら本望」と合併球団の監督就任挨拶で言っていたのが
とても印象的でした。
実質望みどおりだったのかも知れませんが
指揮を執っていたこの年に亡くなるとは・・・。
イチロー、田口、長谷川、野茂、吉井、木田と多くのメジャーリーガーを
輩出した指導力は見事でした。
仰木マジック、猫の目オーダー、日替わり打線とも言われた采配は
戦力的に劣っているチームに上位に上げる力を持っていました。
震災時には「がんばろうKOBE」をスローガンに被災地に勇気を
与えてくれました。
人間として、スマートで優しそうな笑顔が印象的でした。
人を惹きつけるものを持っていた方で非常に尊敬できる人物でした。

大好きな監督のことを語るのに、今の心境では文章で表すことは
これ以上できません。
大好きだったチームも監督もいなくなり、ここ2年は本当に辛い思いです。
この辛さは他球団のファンには分かりえないものだと思います。
監督がいなくなるということは神戸の人にとって
巨人のミスターが、阪神の仙ちゃんがダイエーの王さんがいなくなるような
大きな損失です。
今季も何だかんだで合併球団に興味があったのも監督のおかげでした。
でももう、監督の勇姿を本当に見ることができないのかと、
未だに半信半疑なのも事実です。
来春の宮古島キャンプにはしっかりいるんじゃないかと叶わない期待を
抱いてしまいます。

仰木監督、今まで多くの夢と希望を与えてくれてありがとうございました。
本当に2度と見ることができないのは悲しい限りですが、
今は長年の監督業という激務に耐え、病魔とも闘った体を
ゆっくり休めてください。
ご冥福をお祈りします。今まで本当にお疲れ様でした。






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